「20代が輝く社会をつくる」株式会社アウスタで働く
主に週末にカメラマンとして活動している、荻嶋義章(おぎしま よしあき)さんにインタビューしました。
左が荻嶋さん、右が私。インタビュー中の1コマ。
キャリアサポートなどを行う「株式会社アウスタ」に勤務。今は派遣の現場社員という形で、葬儀でお花を飾ったりしています。若者の「夢」をテーマにしたアウスタの企画がきっかけでカメラを始めました。
「夢カレンダー」。道行く人々に夢を書いてもらって写真撮影。志高い夢や微笑ましい夢も。
荻嶋さんは一時期、フリーランスでカメラをやっていたと聞いたのですが。
はい。でもアウスタに正社員として雇用されていてお給料をもらいつつ、フリーでイベントの撮影などをしていました。
普通、フリーというと全て自分で背負うじゃないですか。僕の場合、至れり尽くせりの状態でカメラマンというポジションをいただいたんです。
そんなポジション、うらやましい限りですが…1年半ほどで荻嶋さんはそのポジションを離れ、現在のように週末に活動するようになります。
アパレル店に就職し、そして退職
はる:荻嶋さんは高校卒業後は服飾の専門学校に通っていたんですね。
荻嶋:専門デビューしたいなと華々しい世界に憧れて実際入ってみたら、現実に直面しました。めっちゃ服作るの大変じゃん、無理だと思ったんです。就職活動もしなかったんですけど、友達ができて古着屋に行ってコーディネートしてもらったりして服屋に行けるようになりました。
はる:それまで服屋に行けなかったんですか?
荻嶋:アキバ系が来たって店員さんに見下されているような被害妄想があって行けなかったんです。専門学校では女子の割合が多くて数少ない男子の結束力が強かったんですけど、ダサい人と一緒にされると困る、頼むからオシャレしてくれと荻嶋くん改造計画が遂行されることとなりました。
はる:男の友情なんですかね(笑)
荻嶋:それから服屋に行きまくるようになり、その後働くことになる服屋さんともお客さんとして出会うことになります。卒業して半年後くらいに服屋さんの社長とカフェで面談になったんです。コンビニでアルバイトしているけどそれでいいのか、うちで働けよと。
はる:どういう経緯で面談することになったんですか?
荻嶋:かつてのイギリスのカルチャーを伝えていくというお店で、僕は音楽イベントとかにも遊びに行ってたんです。お店からしたらかわいいお客さんだったんですよ。目キラキラさせて服買ってくれてイベントにも来てくれる。軽いお客さんだったらそんなおせっかい言わないと思うんですけど。
はる:すごいお客さんと距離が近いお店ですね。
荻嶋:当時のメンバーはやりたいことだからと休みなく働いているような、僕からしたらすごい人たちで、僕には無理だと何度か断ったんです。でもあおれらるような形で、このままだとただのバイトのおじさんになるぞと言われました。それはヤバいなと思って結局5年働いたんですけど、遅刻したり欠勤したり、売上を報告しなかったりしていました。売れてないと気まずいじゃないですか。
はる:まぁ確かに、気まずいでしょうけど。
荻嶋:楽しい部分もあったんですよ。お客さんをキャッチして呼び込んで、おもしろい演出から真面目な服の話もして、お客さんとは友達みたいになるんです。こーれ着たら、絶対彼女できますよ!と話をしていたら、彼女できましたと報告があったり。
はる:それはうれしいですね。
荻嶋:大阪で働いていたときの店長とは今でも繋がっていますけど、荻嶋とは店じゃないところで出会いたかった、部下としてはもう嫌だと言われました。やる気あります!と言った翌日に欠勤したりとか、矛盾した行動が積もり積もっていたんですよね。若い人が入ってきているのに荻嶋先輩がそうだと示しがつかないということにもなってきたんです。僕も心身のバランスを崩すようになり、退職することになります。
はる:それはそれは・・・
荻嶋:「辞めちまえ!」みたいなことはいつも言われていたのですが、最後には社長から静かなテンションで、「荻嶋・・・辞めてくれるかな」と言われました。
カメラと出会い、フリーのカメラマンに
荻嶋:そして地元の埼玉に戻ってきて、駅前のベンチで途方に暮れてたら声をかけられたんです。仕事探してますか、と。
はる:座ってたら声をかけられた!?
荻嶋:はい。僕も服屋さんでキャッチしてたのがキャッチされる側になって、あーこの人もがんばってんだなーって感情移入して。怪しいなと思いつつも話を聞いて、まずは携帯電話の販売の仕事を紹介していただきました。週5で働いて社会復帰しつつ、プラスαで、休みの日に将来のためにできることがあったらいいよねという話もしまして。
はる:社会復帰・・・!
荻嶋:それで会社からの提案で、人と出会うきっかけにもなるしと休日に夢カレンダーの撮影を始めたのですが、僕は手段に溺れたというか、写真を撮ることが楽しいってなったんです。緊張している状態から笑顔になっていくプロセスが半端なく楽しい。アパレルのときの反動で継続する習慣を身に付けるためというのもあったのですが、1年で365人撮るっていうのを3年半やった段階で、カメラマンなっていいよって提案していただきました。
はる:そんなに撮影したんですね!未経験のところからどうやってカメラを覚えたんですか?
荻嶋:最初の1年はブレないで撮るということだけでしたが、撮り続けているうちに、カメラをやっている人と出会ったり、関連会社のカメラマンから撮影のスキルを教えてもらう機会をいただくこともありました。実際教えていただいたことをやってみたらすごく変わって、そうしたら楽しくなりますよね。
はる:やっていたらそういう出会いもあるんですね。
荻嶋:週5のカメラマンになる際には、写真の講座にも通わせてもらいました。全10回くらいの、お子さんを撮りたいお母さんとかが来ているようなコースです。そのときガッツリ基本を学んだのは今も役立っています。あとは、撮影したい写真のイメージがあって、それに必要なことを学ぶというのが、1番無駄がない感じがしますね。
インタビュー撮影の様子。夢カレンダーがきっかけで出会ってその後も人間関係が続いている人もいるそうで、こちらの Girl もその中の1人です。
好きなことを仕事にしたら嫌になった
はる:でも1年半で辞めてしまうんですね。
荻嶋:好きなことを仕事にしたら嫌になっちゃうパターンってあるじゃないですか。 僕はそう感じてなかったんですけど、社内で写真編集をしているときにその姿を見た、カメラマンになったらと言ってくれた先輩から、こう、悪いオーラがにじみ出てるね、と声をかけられたんです。もし良かったら、ダブルワークのライフスタイルに戻る?と。
はる:確かその頃に、「何がやりたいの?」と元カノさんに言われて、何もないことに気付かされてフラれたとか・・・
荻嶋:まさにそうです。クリスマス前に。彼女といれば何もいらないみたいな感じで、実際それくらいの気持ちだったんですけど。完全に守りの人になっていました。悪いところもあったけどそれ以上におもしろかったっていうのが丸くなっちゃったから、つまらない人間になっていたと今でも思いますね。
はる:切ないなぁ。
荻嶋:先輩にモスバーガーでウーロン茶おごってもらいながら、荻嶋は会社のことすごい好きだし、会社に誘った先輩も、事務だった彼女も辞めたのに続けてくれているし、嬉しい部分もあるんだけど、荻嶋はどうなの、人生の責任をとれるのは荻嶋しかいないし、荻嶋は今、どん底なんですよとご丁寧に教えてくれたんです。
はる:・・・どん底!
荻嶋:どん底感、全くなくて。あ、どん底だったんだ・・・もちろんへこみましたけど。彼女含め色んな人の顔色を伺ってきた結果、カメラも惰性で続けてたし、会社に長くいるわりには何も残していない。夢カレンダーはやってる感ありましたけど。改めて自分と向き合わざるを得ない、潜伏期間が半年ぐらいありました。
「かわいい子と観覧車に」という夢を叶えたことが転機
荻嶋:そして夏に、女の子と観覧車に乗るという夢を叶えたんです。自分の夢を実現するのは自分しかいない。女の子と観覧車に乗るの初めて、楽しいな、みたいな。
はる:観覧車って男子の夢なんですかね(笑)
荻嶋:僕自身に対する実験でもあったんです。撮影という名目ですが撮影代をもらっていたわけでもなかったし、どういう行動をしても良かったのですが、それでも僕は写真を撮った。結果、僕はやはりカメラマンだったんです。
はる:なかなか深いです・・・
荻嶋:撮影も楽しかったし、編集して形にしていくのも楽しい。モデルの女の子も写真を見て照れながらも喜んでくれて、ネタとして笑ってくれて。そのフォトブックを初めて500円でお買い上げいただいたときは革命的でした。これが売れるんだ・・・。男たちが「いいっすね」と買ってくれるんです。さらに想定外なことに、女の子たちも写真を見て「ドキドキする」と言ってくれました。
そのときの写真がこちら。遊園地に行ったときのフォトブックは こちら から。
はる:女子目線でもいい写真ですもん、これ。
荻嶋:・・・いやうれしいっすねぇ。僕はもう、男子のファンタジーを具現化してるに過ぎないんですよ。でも気を付けていることがあるとしたら、品ですね。本人も喜ぶような。撮影されることが楽しかったら、また撮影されたいってなるんですよ。僕じゃない人からも。
荻嶋さんが作成したフォトブックたち。コンパクトな文庫本サイズです。
はる:荻嶋さんは本業でカメラマンをしていたときもお金はいただいていたと思うんですけど、その時との違いは何だったんですか?
荻嶋:温度が違いましたね。自分が我慢して相手の要望に応えた対価としてもらってる感があったので、だから消耗してたんですよ。それに対してフォトブックから始まった小さな経済は、楽しみしかない。一切消耗してないのに喜ばれるんです。その夏から改めて、カメラと共に生きる、僕の人生が再スタートしました。
撮影代をもらうのが条件だと、撮りたい人が撮れない
はる:今はおもに休日に撮影されていますが。
荻嶋:色んな人と関わって、イベントで撮ったりしていますね。依頼された、されていないに関わらず撮って、気に入ってくれた方から今度はお金払いますよと言っていただいたりしています。カメラマンを仕事にしたら、お金をもらうことが撮影の条件になっちゃうんです。
はる:そうですね。
荻嶋:そういう写真は他の人も撮るから僕がやらなくてもいいというか、ワクワクしないなと思ったんです。魅力的なのになぜ写真撮られてないのっていうダイヤモンドの原石みたいな人が、僕が撮るべき人だと思っています。写真苦手だけどよくぞ撮ってくれましたと。単に僕が見たい世界だというのもあるんですけど。今は人と出会うのが楽しいです。会ったついでに写真を撮っています。
はる:ダブルワークでやっているからこそ、そういうやり方ができるんでしょうね。
荻嶋:今は意識して自分が撮りたいものを撮っています。言われた要望通りに撮っても感動レベルには至らないんです。撮りたいものを撮って期待を上回るようであれば次に繋がる。僕も無理している感じがない。逆もあって不穏な空気が流れることもあるし憂鬱にもなるんですけど、相手に喜んでもらうことを考えたら、愛を持って裏切るんです。
はる:愛を持って裏切る(笑)荻嶋さんは週5の仕事はカメラから離れた今でも、なぜアウスタを続けているんですか?
荻嶋:アウスタあっての僕と言いますか、駅前で声をかけてくれた先輩は命の恩人みたいな人ですからね。でもアウスタは若い人が多くて、起業したり実家に帰ったりとそれぞれの道に行ってメンバーも入れ替わるんです。その先輩が辞めたとき、先輩はここでの目標を果たせたから卒業のタイミングだけど、僕はまだ違うかなと思いました。
はる:人それぞれですからね。
荻嶋:カメラマンとして働いていたときは自分を追い詰めるために辞めた方がいいのかなと考えたこともあったんですけど、僕の場合、追い詰めてもやらないんですよ。自分のこととなると、やんなくてもいいやってなっちゃうんです。
はる:荻嶋さんらしい気がします(笑)
荻嶋:余裕を与えて、やらなくてもいいよ、どっちでもいいよみたいな状態に立たされたときに1番いい状態が出せるんです。自己分析的には。今のライフスタイルが、まだ合ってるのかなと思っています。
はる:お話を聞いていて、人に喜んでもらえる、感動してもらえるくらいのいい写真を撮りたいという荻嶋さんの気持ちがすごく伝わってきました。どうもありがとうございました!
★撮影協力
山本 魁人 峠 友里恵
荻嶋さんの個人ページ
荻嶋さんオススメのフォトブック注文サイト
関連記事